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今を生きる LIVE NOW:露草日記

今を生きる LIVE NOW:露草日記

この世に生まれそだてられたから。

生きている意味ってなんだろうと考えたとき、私の心の浮かぶのは父と母の人生。
経済的に苦境に陥りながら、5人の子供を育て上げてくれた。その苦労を知っているだけに、育て上げてくれたその労苦に応えたいと思う。
父は明治に生まれ、母は大正生まれ。お互いに幼くして父親を亡くし家族を育て上げるために懸命に生きてきた。母は高等小学校に進みたかったが、経済状態のため進学をあきらめ和装の学校へ。父は郵政省の学校へ。どちらもすぐお金を稼ぐための手段だった。
お見合いで結婚し、父は東京生活、母は田舎暮らし。月に1回大きなザックに土産を一杯運んでくれた。そんな生活は数年しかつかず、結核による療養生活が始まった。この時期生活が苦しく、おばに借金「を続けた。
父の結核が良くなりかけた頃、自然災害がおしよせてきた。水害で家は半壊状態、畑は壊滅状態になった。ちょうど夏休みで父は力を合わせ自宅で暮らすことを決めた。
そんな折、母がめまいで石垣から転落し骨盤骨折をおった。父はまだ療養所での治療が必要だったが、月に一度は外泊してきて家のことを祖母と話し合った。8年にわたる闘病生活の後退院してきたのだがもはや仕事はなかった。細々と農業を行い現金収入は兄や姉が受け持った。
父と母は我が家の苦境を子供たちに伝え、協力を求めた。学校が終わったら家事を手伝い、家業を手伝うのは当然のことだった。
私は5人兄弟の末子だが、兄や姉が普通にしていることを見て学び、家事を手伝うことは当たり前で、小学校に入学したら自分の洗濯ものは自分で洗濯し、靴や上履きを洗うことは日曜日の朝にする。
小学4年生になったら夕食を中心になって作る当番になる。夕食のメニューはおおよそ決まっていて、麺類が中心で、手打ちのうどんやおほうとうときまっている。4年生になったら祖母や姉から手打ちの仕方を教わり、実際に夕食を作る。私が麺を打ったことを家族全員が知っていて、食事が始まると皆が「よくやった、おいしい」とほめてくれる。ほめてもらうと嬉しくって次もしたくなる。


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